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厳島神社 抜弁天(余丁町)

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写真: 厳島神社 抜弁天(余丁町)

写真: 厳島神社 抜弁天(余丁町) 写真: 厳島神社 抜弁天(余丁町)

mixiアルバム「厳嶋神社(抜弁天) (新宿区余丁町)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000046643712&owner_id=32815602
2012年01月06日 00:20

●11.09.19.――
いつくしまじんじゃ。通称 抜弁天(ぬけべんてん)。
御祭神は市杵島姫命。新宿山の手七福神のうち弁財天を祀っている。

※厳島神社については「厳島(00.02.29)」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=422201188294895&owner_id=32815602

※弁天様については「鎌倉2 七福神/源頼朝/大江・毛利・島津/荘園」内“弁天様”記事→ http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=1184149458&owner_id=32815602

応徳3(1086)年、鎮守府将軍 八幡太郎義家が奥州平定へ向かう途中、ここで宿営した。
この地は市谷・牛込エリアで最も高い場所で、かつては富士山も見えたそうだ。この時、義家は遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願したという。
後三年の役(1083〜1087年)。
義家は奥州平定を成し遂げた帰途、戦勝の御礼に神社を建立し、厳島神社を勧請した。

義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」といわれる。江戸六弁天のひとつ。
江戸時代には稲荷神社もあり、将軍綱吉による生類憐れみの令により付近に野犬のための2万5千坪の犬小屋が設置されていた(`ロ´;)
江戸期にあった稲荷はここより東。よってその一帯が……(*0*;)ワキャー


※余丁町(よちょうまち)――
旗本の組屋敷があり、この町が4条だったので東大久保四丁目と呼ばれていた。
1872年、大久保前町と合併したのをきっかけに縁起の悪い“四”を改め、大久保余丁町とした。
1911年、余丁町となった。
1986年、住居表示で“東新宿”となる予定だったが、住民の反対運動の結果、余丁町のまま住居表示が実施された。

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