2022_0911_172300 若狭への道
古来より日本海の若狭から比良・比叡山系の北側、朽木村、途中越を越えて大原を通り
京都まで魚介類が届けられました。
アルバム: ◎き)京都・出町柳
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コメント (7)
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トキゾウさん
☆ありがとうございます。2022年9月18日 08:08 キューチャン (36)
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がんちゃんさん
☆ありがとうございます。2022年9月18日 08:09 キューチャン (36)
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cibaさん
☆ありがとうございます。2022年9月18日 08:09 キューチャン (36)
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ここから大原までだって とてもとても歩く気にはなりません。昔の人は偉いわ〜 私の場合 12000歩くらいでも 今日はよう歩いた〜という気分 16000歩くらいになると もうあかん・・もう歩くのいや〜
2022年9月18日 10:46 kame (12)
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nossさん
☆ありがとうございます。2022年9月19日 15:02 キューチャン (36)
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kameさん
☆とコメントありがとうございます。
ここから大原まででも12キロくらいですかね。
昔は川に沿っているとはいえ舗装もトンネル近道も切通しもない
険しい道だったのでしょうね。
大原女のお姉さんたちはここを30キロも40キロも荷物を頭にのせて毎日のように
往復してたのでしょ。
それもだだの人足ではなく都では舞妓さんと二分するほどの人気があったということなので
疲れも見せず愛想よく商売してたのでしょうね〜。
体力と脚力、恐るべしですね。2022年9月19日 15:14 キューチャン (36)
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如来さん
☆ありがとうございます。2022年12月10日 17:24 キューチャン (36)
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