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写真: 菅義偉内閣官房長官の誕生日 1948年12月6日 写真: 山形新幹線が新庄まで延伸 1999年12月4日

自宅から、当時勤務先のあった新宿までは、私鉄、常磐線、山手線と乗り継いで行くのが
最も最短だった。しかしこのルートは目的地までずっと満員電車だったので、ある時から、
武蔵野線、総武線の乗り継ぎに変えた。乗車時間は増えるが、このルートでは西船橋から
総武線の折り返し電車に座って乗れるので約50分の睡眠が取れる。帰宅時も同様に、睡眠
時間を作ることができた。

ちょうど、このルートでの通勤に変えた頃だったように思う。

総武線東中野駅で朝9時半過ぎ、死者2人、重軽傷者116人を出す列車追突事故は起きた。

この事故をはっきりと憶えているのは、ニュースでの一報では、追突したのは西船橋駅で
折り返した中野行きと伝えられた(と記憶していたが)事。
また、当時お世話になっていた先輩と、何度か東中野駅前のスナックで語らうことがあり、
そんなことから、この事故を身近に感じたからだと思う。



【東中野事故の概要】
1988年12月5日朝9時半過ぎ、東中野駅構内で停車中の津田沼発中野行下り中央線各駅
停車に、千葉発中野行下り中央線各駅停車が追突し、死者2名と多数の負傷者を出した。
死亡したのは、後続電車の運転士と乗客、各1名だった。この事故で亡くなった乗客は
病院関係者で、まだ若く、妻子を持つ方だったと記憶している。

この事故は先行列車が4分遅れて東中野駅に停車していたところに、後続列車が追突した。
当時のATSは動作した際に、運転士が確認ボタンを押せば、そのまま進行することが出来、
運転士が何らかの理由でATSを解除し進行したと見られている。

また、この事故の直前(1988年12月1日)にダイヤ改正があり、運転時分の見直しとスピ
ードアップ化が図られていたが、逆に朝のラッシュ時は遅延が目立っていたという。
終着駅での折り返し時間も短く、運転士は新宿 - 東中野間で走行中に持ち物をまとめるの
が常態化していたとも言われている。

https://www.youtube.com/watch?v=QLAzGbpdl5k


事故現場などを覆い隠すブルーシート。自分は、この事故以降、このシートがこのような使
われ方をする場面を見るようになった気がする。






写真は、西船橋駅の総武線ホーム。
この、2番線と3番線ホームの間にある線路に、この駅で折り返す上り電車が到着する。
2番線が降車ホームとなり、先にドアが開いて乗客が降りる。次に乗車ホーム3番線のドアが
開き、上りの乗客が乗り込むと、間もなく降車ホームのドアが閉まる。
写真の左側が1番線で、この駅止まりではない千葉方面への下り電車が到着するホーム。
事故を起こした電車は、先行も後続も、写真では右側に隠れている4番線から発車した。

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コメント (2)

  • きしめん 百八

    確かに近年、折り返し駅での停車時間が短くなった気がします。
    私が若い頃は始発駅というと乗客が乗り込んでからかなりの時間が経ってから発車していましたね。車内清掃の人がごみ拾いしたり、とか。

    2014年12月5日 11:56 きしめん 百八 (5)

  • 熊野牟 秀太

    最寄りの私鉄も、昔よりは折り返し時間も短くなった気もしますが、
    まだ長いですね。酔って椅子に座っていると出発前にいつの間にか
    眠ってしまう。そして気が付けば降りるべき駅を通り越している。

    さらにひどいのは、出発前に寝てしまう。そしてその電車の発車の
    ベルで飛び起きて、慌ててホームに出てしまう。

    その口惜しさと、恥ずかしさ・・・・
    ましてそれが終電だったら・・・・



    鉄道事故は、「まさか」の思いが強い分、悲しみが深いです。

    2014年12月5日 15:45 熊野牟 秀太 (16)

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