ヘルプ

光クラブの東大生社長が自殺 1949年11月24日

  • 2
  • 4148

写真: 光クラブの東大生社長が自殺 1949年11月24日

写真: 三島事件。作家・三島由紀夫らが割腹自殺 1970年11月25日 写真: いい兄さんの日 毎年11月23日

1月24日、ヤミ金融「光クラブ」社長・山崎晃嗣(26歳)が、中央区銀座の本社社長室で青酸カリを飲み自殺した。

【光クラブ事件】
山崎は1948年秋、訪れた金融会社で業界通の日本医大生(当時25歳)と知り合った。
そして、二人を中心とした貸金業「光クラブ」を、東京中野の鍋屋横丁に設立した。
1万5千円を元手に始めた会社は、半年間で中野から銀座に進出し、資本金600万円、株主400名、従業員30名の会社にまで成長している。

周囲の目を引く画期的な広告を打ち、『年中無休!天下の光クラブ、弊社は精密な科学的経済機関で日本唯一の金融株式会社』、 『遊金利殖、月一割保証』などの文句で多額の資金調達に成功。月1割3分の高配当で集め、利子は2割1分〜3割という高利で、商店や中小企業に貸付けるという仕組みだった。

しかし、同年7月4日。山崎が物価統制令違反で逮捕(後に不起訴)されると同時に出資者の信用を失い、業績が急激に悪化。その後、11月24日深夜、約3000万円の債務を履行できなくなった山崎は、本社の一室で青酸カリによる服毒自殺をした。

【山崎晃嗣】
1923年10月、医師であり木更津市市長だった山崎直の五男に生まれる。
旧制木更津中(現・千葉県立木更津高等学校)から一高を経て、1942年に東京帝国大学法学部に入学するが、学徒出陣により陸軍主計少尉に任官。配属されたのは、北海道・旭川の「北部第一七八部隊」。そこでは、隊長や参謀らが軍務そっちのけで米や油などを横流ししていた。敗戦時には山崎もそれに習って、地位を利用した軍事物資の横流しを行い、検挙された。この時、上官を庇って、懲役1年半執行猶予3年の実刑判決を受けている。 尋問時に警察から虐待された上、事前に約束された分け前に与ることも出来ず、同級生の死と共に、この事件の深い失望や虚無感が後々、山崎の人生観に影を落とすことになった。
彼は、後にこう記している 「人間の性は本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾である」。

東大に復学した山崎は、それまで誰も成し得なかった「全優」を自らに課した。
一日の行動を30分刻みで記し、勉強は「有益時間」として、重要なものから優先順位をつけていたが、中には恋人と遊ぶ「女色時間」空想の為の「無益時間」という時間まで設けていた。偏執狂的とも言える日記をつける習慣は、死の直前まで続いていたという。
結局、全ての科目で「優」を取るという当初の目標は達成されなかったものの、教授の嗜好や気まぐれに依存する評価を愚に思い、「優・良・可の区分に全生活をかけるのが馬鹿らしくなった」とも日記に記している。

【山崎晃嗣と三島由紀夫】
山崎は大学構内で、ほとんど人と接しようとはせず、同じ時期に東大法学部法律学科の学生だった平岡公威(三島由紀夫)と共に「二人は学内で同じような振る舞いをしていた印象に残る人物だった」という証言がある。
三島は後に、小説『青の時代』を執筆している。題材は、この「光クラブ事件」からであり主人公・川崎誠のモデルは、闇金融「光クラブ」の社長・山崎晃嗣。

【山崎晃嗣と藤田田】
元日本マクドナルド社長の藤田田氏は、東大で山崎の一級下でありクラブへの出資者でもあった。自殺直前の山崎から資金繰りに行き詰まったことを相談された藤田氏は、「法的に解決することを望むなら、君が消えることだ」と言っている。



【その他】
2007年夏、金融業を始める前の山崎の日記(大学ノート3冊分)が発見された。
物資の横流しの件で実刑判決を受け、釈放されて家に戻った1946年3月から1年半分のことが記されている。内容は、上官への恨みや、投獄時のことなどを綴っていた。

3月24日の日記

 楽しいから生きてゐる
 楽しみがなくなり苦しみが生じたら死ぬばかりである
 生命などといふものは要するにつまらないものである




この事件は、戦後の「アプレゲール事件」としても知られている。
アプレゲール(仏: apres-guerre)とは
元々は、戦後派を意味する語であり、対義語はアヴァンゲール。

戦後、価値観が崩壊し、それに変わる価値観も確立されずに混乱を続けたが、知識人たちはこれを逆手にとって新しい芸術の方向を模索した。
「ダダイズム」や「シュールレアリスム」という芸術も生まれ、三島由紀夫らは、この言葉を小説などの名称に使い、自分たちの文学を示した。

社会では、刹那的な充足感を求める青年たちの犯罪が相次いだ。その多くが中流階級の、世の中を知らない若者の、道徳観を欠いた無軌道で短絡的な動機による犯行。
それらを「アプレゲール事件」と呼んだ。

アプレゲール事件では、他に
「鉱工品貿易公団横領事件」
「金閣寺放火事件」
「日大ギャング事件」
「バー・メッカ殺人事件」
などがある。





写真は、今朝未明の中野「鍋屋横丁交差点」

アルバム: 公開

タグ: 400

お気に入り (0)

まだお気に入りに追加している人はいません。

コメント (2)

  • きしめん 百八

    高木彬光のほうは読みましたが、三島由紀夫のほうは読んでません。おそらく作家によって切り取り方や人物像が多少異なるのでしょうね。
    価値観に関しては作家・芸術家にとっては混沌の時代だったのかも知れませんが、東西冷戦下での安保闘争や自衛隊創設、核家族化、軽工業国から重化学工業国への転換、所得倍増計画、科学の推進などそこには確かに生活に根付いた価値観が存在し、大阪万博あたりまでは多くの日本人が共有していた価値観があったように思います。価値観の多様化が顕在化してきたのは1980年ごろからでしょうかね。

    2014年11月24日 20:19 きしめん 百八 (5)

  • 熊野牟 秀太

    『青の時代』に関しては、三島本人が「主題を十分に描ききれず、
    失敗作だった」と回顧しているようです。

    価値観の多様化。
    テレビが普及し、一家に一台ではなくなった時代背景も影響して
    いると感じます。また、同じような時期のことだったと思いますが、
    黒一色だったカメラに、赤、青、黄色などのカラーバリエーション
    が登場しヒットした。こんな発想も、やはりコニカでしたが。
    この時、初めて「価値観の多様化」という言葉を聞いた気がします。

    2014年11月24日 21:39 熊野牟 秀太 (16)

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。