ヘルプ

Renault Maxi 5 Turbo 1985(ルノー マキシ 5 ターボ 1985)2

写真: Renault Maxi 5 Turbo 1985(ルノー マキシ 5 ターボ 1985)2

写真: Renault Maxi 5 Turbo 1985(ルノー マキシ 5 ターボ 1985)3 写真: Renault Maxi 5 Turbo 1985(ルノー マキシ 5 ターボ 1985)1

Renault Maxi 5 Turbo 1985
ルノー マキシ 5 ターボ 1985

DeAGOSTINI RALLY CAR COLLECTION 24
隔週刊ラリーカーコレクション 24

1985年ツール・ド・コルスで優勝した、
ドライバー、ジョン・ラニョッティ、
コ・ドライバー、ピエール・ティモニエール組が使った、
ルノー マキシ 5 ターボを再現したモデルです。

グループBの全盛期だった1985年当時に猛威を奮っていたのは、
ターボエンジンをミッドシップに載せた4WDマシンのプジョー 205T16だった。

そんな中、ルノーは当時グループ4に出場していた、
5 ターボを最大出力350馬力のエンジンをミッドシップに搭載し、
後輪駆動の車重930kgのマシンを、
ターマック(舗装)ラリーのフランス領コルシカ島で開かれる、
ツール・ド・コルスに2回だけ出場させたのが、
このルノー マキシ 5 ターボです。

デビューした、1985年のツール・ド・コルスでは、
ワークスのランチア 037 ラリーで出場していた、
アッティリオ・ベッテガが高速で木に衝突。
コ・ドライバーは助かったが、アッティリオ・ベッテガは、還らぬ人となってしまった。
ランチア勢は、友の死を悼み、参戦を中止した。
ラリーを心から愛していた、アッティリオ・ベッテガは、
自分の死でラリーが中止になることを少しも望んでいなかったはずだと誰もが信じ、
プジョー勢とルノー勢は、競技を続行した。

そして、このラリーで、2位のブルーノ・サビーのプジョー 205T16 E2に約12分半という、
とんでもない大差をつけて、ジョン・ラニョッティが運転する、
ルノー マキシ 5 ターボは、優勝した。

しかし、次の出場は翌1986年のまたもツール・ド・コルスだった。
そして、この年のツール・ド・コルスでも、ランチア勢に悲劇が襲う。
ランチア デルタ S4を運転していた、
ドライバー、ヘンリ・トイボネンと、
コ・ドライバー、セルジオ・クレスト組がクラッシュし、
還らぬ人となってしまったのである。
その結果、ランチア勢は、この年も参戦を中止した。
そして、プジョー勢とルノー勢は競技を続行。
結果は、プジョー 205T16 E2のブルーノ・サビーが前年の雪辱を果たし、優勝した。
フランソワ・シャトリオのルノー マキシ 5ターボが2位となった。

そして、これ以降にルノー マキシ 5 ターボは、WRCのラリーには出場していないが、
WRC参戦わずか2戦で、優勝と2位を獲得した結果、
ルノー マキシ 5ターボは、グループB伝説のマシンの1台になっている。

アルバム: 公開

お気に入り (1)

1人がお気に入りに入れています

コメント (2)

  • ユンカース

    キャピタル自動車が正規輸入してたとき店頭で800万くらいでしたよ(≧∇≦*)
    今でも充分通用するスタイルですよね(゚д゚)(。_。)_。)

    2014年8月10日 23:33 ユンカース (70)

  • RemuJB 〜辞めました〜

    そうだったんですか!
    そうですね!

    2014年8月11日 15:58 RemuJB 〜辞めました〜 (1)

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。