福井藩江戸上屋敷
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江戸東京博物館にて
今は失われた、大名屋敷の復元模型。越前福井藩主松平伊予守忠昌(1597〜1645年)の上屋敷を再現。江戸城の大手門前にあったというので、江戸城のお堀(外堀)の内側に当時の大名屋敷が建っていたということになる。
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Comments (4)
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広大な敷地を擁していようです
正面の東側が京間96間(約189m)、北側53間(約105m)の長方形に
南西部分に39間(約77m)×12間(約24m)の長方形を足したL字形の敷地
(約6,600坪)。
↓ご参照
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/permanent/2.html
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/tokyo/fukuinoasiato/fukuinoasiato7.html02-13-2014 08:44 早起き鳥 (6)
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久しぶりの国立国会図書館の江戸大絵図にありますねェ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2542442
常磐橋近くですね「松平越前」その西側神田橋の西に下屋敷ですか、ありますね。02-13-2014 23:07 tH (3)
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tHさん、おはようございます
ありがとうございます、久々の江戸古地図の登場ですね〜(*^^)v
大手町に、このような華麗な門構えの大名屋敷があったんですね、
でも江戸も初期であり敷地の四隅は戦国の名残を伝える「櫓風の」建築様式
が見える・・・写真一番手前が正に「櫓造」ですよね。
tHさんの貼った古地図は「安政改正御江戸大絵図」安政5年(1858)刊で
上屋敷、下屋敷がはっきり見てとれますね。でも、この大手町周辺は明暦
の大火後、土地の整備や大名間で替地が相当あったようです。大火の
数十年後は、同じ場所に松平の名前は見えても上屋敷のマークは見えず、
上屋敷としては小笠原藩が認められます。
↓ゑ入江戸大絵図(貞享1(1684)刊)参照ください
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286184
また、大手町の付近の江戸期の大名屋敷の変遷についてこんなHPもありました。
これで見ると、越前福井藩の上屋敷が大手町に再登場するのは、正徳3年、1713
のようです
↓
http://yasuda.iobb.net/wp-googleearth_e/?page_id=882802-14-2014 08:44 早起き鳥 (6)
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早起き鳥さん、いろんなサイトがありますね
またまたのめり込みそうになっちゃいますよw
会津藩上屋敷、中屋敷・・やりましたねえ、忘れちゃうところでした02-14-2014 23:38 tH (3)
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